壱岐にまつわる話

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太郎礫・次郎礫について

長崎県壱岐市に伝わる鬼伝説のひとつ「太郎礫・次郎礫(たろうつぶて・じろうつぶて)」。

 

その昔、壱岐を支配していた鬼・悪毒王(あくどこお)を筑紫の武者・百合若大臣(ゆりわかだいじん)が退治しに来た際、応戦した鬼の太郎と次郎が投げた(投げようとした)直径1メートルほどの二つの巨石のことを言う。岩は壱岐島西部の黒崎半島沿岸の崖上にぽつんと転がっている普通の石であり、一見してそれがどの様な由来であるかは分からない。見たい方は黒崎半島にある壱岐随一の名勝地「猿岩」を後ろにぐるっと南に下って行くとよい。

 

言い伝えによれば、崖上よりこの巨石を鬼の太郎と次郎が海上の百合若大臣に投げつけたところ、剛腕の百合若が扇でひらっと跳ね返して戻ってきたという。また太郎・次郎が百合若大臣に恐れをなして置いて逃げ帰ったという説もある。

 

この百合若大臣の伝説は全国各地に存在する。一般的には蒙古襲来の際、対馬沖の船上で蒙古軍を討伐した話が有名である。伝説は説教節(せっきょうぶし)や近松門左衛門浄瑠璃「百合若大臣野守鏡(ゆりわかだいじんのもりのかがみ)」により全国各地に広まった。演目内容は復讐劇である。壱岐の百合若伝説は代々「イチジョ」と呼ばれる巫女により伝えられてきた。琵琶法師も居たがこちらは正式ではない。

 

百合若伝説は大分県壱岐が有名であるが、鬼と戦った逸話が残るのは壱岐だけである。大分県の百合若伝説では、蒙古軍と戦い打ち勝った百合若大臣は家来の別府兄弟に裏切られ、孤島(玄海島)に置き去りにされる。別府兄弟は朝廷に百合若は死亡したと伝え、自分たちが手柄を横取りして豊後(現・大分)の国司に就いた。一方、百合若はたまたま島に流れ着いた壱岐の漁師に助けられ本土に戻ると、正体を隠しながら別府兄弟に近づき、最後は正体を明かし復讐を遂げるといった内容だ。室町時代に作られた幸若舞(こうわかまい「歌舞伎や能の原型」)で書かれた「百合若大臣」では別府兄弟が国司に就いた先は筑紫(現・福岡)となっている。

 

幸若舞で伝わっている別府兄弟の兄の名は「別府太郎」であり、弟の名は伝わっていない。ここで注意したいのが、別府兄弟の名前である。鬼の太郎・次郎を連想せずにはいられない。

 

壱岐の百合若伝説には二つの伝承がある。ひとつは大分県と同様、蒙古軍を討伐した伝説だ。壱岐の逸話では別府兄弟に裏切られ置き去りにされた島は、壱岐の寝島(ねじま)と伝えられており、その後の話は幸若舞と一致する。そして、もう一方は鬼退治の伝説である。民俗学者折口信夫は百合若大臣は桃太郎ではないかと推測している。壱岐に鬼ヶ島伝説が残るのはこのためだ。

 

これは憶測でしかないが、壱岐に伝わる百合若伝説は各地の様々な伝説と混合されたものではないだろうか?蒙古軍は鬼に見立てられ、裏切り者の別府兄弟は鬼の兄弟に変化した。そう考えればすべて納得いく気がする。