壱岐にまつわる話

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鬼から河童へ。壱岐のアマンシャグメ伝説

壱岐には鬼同様、河童伝説も多く残る。例えば湯ノ本の「河童の証文石」や安国寺の「河童の橋石」などが有名だ。

 

最も有名なのは「壱岐のアマンシャグメ」にまつわる河童伝説であろう。だが、この話は近年地元民から忘れさられている節がある。

 

「アマンシャグメ」は小鬼である。気温に恵まれ土壌豊かな環境に甘んじる、怠惰な壱岐の住民に愛想をつかし悪さを働くのだ。ちなみにこの話は「まんが日本昔ばなし」にも登場する壱岐ではポピュラーな内容であるが、河童とは関係がない。

 

「アマンシャグメ」の伝説はもうひとつある。

 

壱岐の不幸を願うアマンシャグメが竹田番匠(※大分県竹田市名工であるが、何故か壱岐にいる事になっている。)に、もし入り江を横切る巨大な橋を一晩で架けることができたら、島民を残らず食べるという約束を取り付けた。

 

アマンシャグメは三千体の藁人形に呪いを掛けると、作業員に変化させ工事に取り掛かった。あまりの速さで橋が完成しそうになったため、竹田番匠は慌てて鶏の声を真似て鳴き声を上げた。すると朝を告げる一番鶏が鳴いたと勘違いをしたアマンシャグメは「掻曲放擲け(けいまげうっちょけ)!」と叫んだ。たちまち三千体の藁人形は、海と川と山に各千体ずつ散り散りに逃げて行ったそうだ。

 

「けいまげうっちょけ」は「(仕事を)放棄して逃げろ」という意味で、この言葉が「げいまぎ崎」、恐らく現在の「牧崎(まきざき)半島」に変化したとみられる。

 

逃げて行った藁人形は「があたろう」(※河太郎、河童と同意)に変化して、馬の足跡ほどの小さな水溜まりさえあれば、そこから現れて人に悪さを働いたそうだ。

 

ちなみに「アマンシャグメ」は「アマンジャク」とも呼ばれ、民話「瓜姫とアマンジャク」の天邪鬼(あまのじゃく)と同意である。

 

佐賀県武雄地区にも全く似た話が残っている。異なるのは大工が竹田番匠ではなく、兵部大輔島田丸であることと、藁人形は「があたろう」ではなく「兵主部(ひょうすべ)」と呼ばれる佐賀地方の河童の名称に変化したと言われている。

 

とにかく河童と人間との逸話で似たような話は数多くある。

 

湯ノ本の「河童の証文石」の河童は相撲を取った際に腕が抜ける。これはもともと河童が藁人形であるという考えが残っているからだろう。壱岐の河童伝説が「アマンシャグメ伝説」に基づいていると考えると推論できる。